1864年の歴史認識をめぐっては、現代の歴史ファンやネット言説の間でいくつか重大な誤解が見受けられます。一次資料と照らし合わせながら、その盲点を検証します。
誤解1:「池田屋事件がなければ明治維新はもっと早く起きていた?」
司馬遼太郎の歴史小説等の描写から「池田屋事件で維新が1年遅れた」という言説が定説のように語られることがあります。しかし近年の歴史学研究においては、むしろ池田屋事件と禁門の変による長州藩の徹底的挫折がなければ、観念的攘夷論の清算と薩長同盟への現実的妥協は起こり得なかったと分析されています。挫折という強力な触媒なしには、旧態依然とした尊皇攘夷運動の枠組みを超えられなかったというのが現代の共通認識です。
誤解2:「四国艦隊下関砲撃事件で長州藩は幕府を見限った?」
長州藩が砲撃を受けた直後にすぐ倒幕へ向かったと混同されがちですが、実際には1864年秋時点の長州藩政は「俗論派(幕府恭順派)」が掌握していました。倒幕路線への確定は、同年12月に高杉晋作がわずか数十名で決起した「功山寺挙兵」によって藩内内戦を制し、正義派(討幕派)が権力を奪還して初めて達成されたものです。