長谷川豊氏がフジテレビを去る決定打となったのは、2012年6月に下された懲戒処分です。当時、ニューヨーク支局に赴任中だった同氏は、現地での滞在関連費用において「業務上の不正使用があった」として、アナウンス室から著作権業務部への異動および降格処分を言い渡されました。
フジテレビ側は当時、「ニューヨーク滞在関連費用を巡り、規定に反する不適切な精算が行われていた」と発表。アナウンサーとしての画面出演を即座に停止させました。一方で、長谷川氏は退社後に上梓した自著『フライング・ハイ』や各種メディアのインタビューにおいて、会社側の主張と自身の認識に大きな乖離があったことを明かしています。
長谷川氏の手記によれば、現地の住宅手当の処理や引越し費用の立て替え、為替レートの変動に伴う複雑な精算ルールを巡り、現地の商慣習とフジテレビ本社経理局のルール解釈の間に致命的なすれ違いが生じていたとされています。本人は「私的流用や着服の意図は一切なく、現地スタッフとの連携上の手続き不備だった」と激しく反論しましたが、組織の規律を最優先するテレビ局側の決定が覆ることはありませんでした。
アナウンサーとしてマイクを握る道を完全に閉ざされ、デスクワーク主体の部署へ配属された長谷川氏は、自身のアイデンティティである「伝える仕事」を続けるため、2013年4月1日付でフジテレビを依願退職。これが「長谷川豊はなぜ辞めたのか」という問いに対する、最初の制度的な答えです。