『そして誰もいなくなった』の映像作品を鑑賞した際、多くの視聴者が抱く最大の違和感が「結末が作品によって根本から異なる」という点です。原作小説を読んだことがある人ほど、映画版で男女2人が生き残って愛を確かめ合うラストシーンを目撃した瞬間、強い困惑を覚えます。この乖離の背景には、原作者アガサ・クリスティ自身の手による歴史的な軌道修正が存在していました。
1939年に発表された原作小説の結末は徹底して絶望的です。10人の登場人物は疑心暗鬼に駆られ、一人また一人と残忍な手口で命を奪われます。生き残った元家庭教師ヴェラ・クレイソーンは、最後の生存者であるフィリップ・ロンバートを自衛のために射殺しますが、極限の罪悪感と錯乱の中で自ら首を吊り、文字通り「そして誰もいなくなった」という完全な全滅で幕を閉じます。犯人の正体と仕掛けの全貌は、事件後に海へ投げ込まれた瓶入りの告白書によって初めて読者に明かされるという、冷徹極まりない構成でした。
ところが、1943年に本作をロンドンの劇場で舞台化する際、クリスティは結末を根本から書き換えました。当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、ナチス・ドイツによる連日の空襲に怯えるロンドン市民に対し、「10人全員が無残に殺されて終わる救いのない物語」を見せることは興行的にも精神的にも耐えられないと判断されたのです。この戯曲(舞台)版において、ヴェラとロンバートは互いの無実を信じて機転を利かせ、犯人の罠を逆手に取って生き延びるという筋書きへと改変されました。
戦後間もない1945年に製作されたルネ・クレール監督の映画版をはじめ、1960年代、1970年代に欧米で制作された劇場用映画の多くは、小説ではなくこの「戯曲版」を底本として採用しました。その結果、「映画版はハッピーエンド、小説は全員死亡」という二重構造が長きにわたって固定化されることになったのです。