矢先稲荷神社の直接的なルーツは、江戸・浅草にあった矢先稲荷とされる。武家社会において「矢先」という言葉は、単に矢の先端を指すだけではなく、戦における初陣や攻撃の矛先、さらには吉凶を占う対象として極めて重要な意味を持っていた。とりわけ弓術の稽古場や射的場の近くに祀られることが多く、武士たちが「的の先に立つ神」「矢筋を守る神」として崇敬したのがはじまりだ。
京都への移転と現在地への定着については、文献によって微妙な差異がある。ただ、地元に伝わる由緒や社伝によれば、三十三間堂の通し矢に関わる射手や弓術家たちが、武運長久と的中祈願のために奉斎したとされる。三十三間堂が江戸時代を通じて「大的全国大会」の舞台だったことを考えれば、至近距離に弓の神を祀る社があったのは不自然ではない。この立地そのものが、矢先稲荷神社の歴史的必然性を物語っている。
観光地として注目されるようになったのは比較的最近だ。伏見稲荷大社のような千本鳥居や、華やかな楼門を持つわけではない。だからこそ、ガイドブックのメイン特集には載りにくく、「知る人ぞ知る社」としての性格を保ってきた。SNSで静かなブームが起きた後も、地元住民や崇敬者が中心の参拝スタイルは大きく変わっていない。2026年時点では、あえて“映え”を求めない参拝者に選ばれる傾向が強い。