1945年8月15日。玉音放送が流れた。戦争は終わった。しかし盛運丸の仕事は終わらなかった。むしろ、新たな重要任務が待っていた——海外に取り残された日本人を本土に送り返すこと。
約660万人。それが終戦時に海外にいた日本人の数だった。軍人、軍属、民間人——中国、朝鮮半島、東南アジア、太平洋の島々に散らばっていた。彼らを帰国させるのは膨大な作業だった。
盛運丸は復員船として活用された。かつて兵士を戦場に運んだ船が、今度は彼らを故郷に連れ帰る。甲板には希望と疲労が入り混じった表情が並んだ。多くの人が、生きて日本の土を踏めることに涙した。
復員輸送の実態
復員輸送は1945年秋から本格化し、1948年頃まで続いた。米軍の管理下で行われたこの作業には、日本の残存船舶すべてが動員された。盛運丸もその一翼を担い、何度も海外と日本を往復した。
船内は過密だった。定員を大幅に超える人数が乗り込んだ。衛生状態も良くなかった。それでも、人々は文句を言わなかった。家に帰れる。それだけで十分だった。