感染症の流行以降、家庭用パルスオキシメーターが急速に普及しました。指先に挟むだけで血中酸素飽和度(SpO2)が測定できる手軽さから、多くの人が「SpO2が95%以上あれば肺は正常である」と信じ込んでいます。しかし、呼吸器病態の専門家はこの一般常識の盲点に強く警鐘を鳴らしています。
人間の生体は、動脈血中の酸素濃度を死守するために極めて強力な補償メカニズムを持っています。肺に炎症が起き始めたり、心機能が低下してガス交換能が落ちたりした初期段階では、呼吸数を毎分15回から毎分30回へ倍増させることで、肺に送り込む空気量を2倍に増やします。その結果として、頻呼吸 SpO2 低下という現象はすぐには現れず、数値上は96〜98%という「見かけ上の正常値」が保たれるのです。
この状態を医学的には「代償期」と呼びます。患者本人は「なんだか息苦しい」「息が上がって喋りにくい」と感じており、外から見ても胸の上下が激しくなっているにもかかわらず、指先のモニターは青い光で「正常」と告げ続けます。そして、呼吸筋が疲労で力尽き、呼吸回数を維持できなくなった瞬間(非代償期への移行)、SpO2は95%、88%、75%と数分単位で垂直落下し、一気に心肺停止のリスクへ突入します。SpO2の数値が下がる前に現れる呼吸数の倍増こそが、最大の異常シグナルなのです。