作品を読み解く最大の難所であり、テストの記述問題や考察サイトでも激しい議論が交わされるのが、サンタマリアの意味となぜ笑ったのかという白象の表情の真意です。
「サンタマリア」という祈りの重層性
敬虔な法華経信者であった宮沢賢治が、なぜ仏教説話的なトーンを持つ本作にキリスト教の聖母マリアを想起させる語を配置したのか。文学研究者の間では主に3つの視点が提示されています。
- 異国情緒と普遍的な救済のシンボル:賢治は『銀河鉄道の夜』でもキリスト教的なモチーフを多用しました。土着的な信仰を超え、全宇宙的な「母性的な慈悲」「無条件の救済」を象徴する言葉として配置した説。
- 語り手(牛飼い)の口癖・感嘆詞:冒頭の「ある牛飼いがものがたる」に連動し、牛飼いが信奉する宗教的祈念、あるいは語りのリズムを整える合いの手であったとする構造論的見解。
- 搾取されるプロレタリアートの極限のうめき:自力救済の手段を完全に奪われた者が、最後の最後にすがる絶対的超越者への叫び。
白象が最後に浮かべた「寂しい笑い」の真相
暴君オツベルが討たれ、仲間たちに囲まれて自由の身となったにもかかわらず、白象は歓喜に飛び跳ねることはありませんでした。本文には「白象は、さびしくわらって、そう言った」と記されています。この笑みの裏には、底知れない苦渋が横たわっています。
第1に、失われた純真さへの哀悼です。人間を信じ、文明を好意的に受け入れた結果、裏切られ、仲間を巻き込んで血みどろの殺戮を引き起こしてしまったことへの自責の念があります。オツベルを踏み潰した仲間の象たちの姿に、かつての平和な森の秩序はもはや存在しません。
第2に、「被害者」から「加害の引き金」になってしまった絶望です。オツベルの死によって自由は回復しましたが、それは暴力による血の解決でした。賢治は「無垢な存在が他者と関わることで背負わされる原罪」を、この乾いた寂しい笑みに凝縮させています。