カイコ(家蚕)という生き物の特異さを、私たちは改めて噛み締める必要がある。彼らは人間による約5000年にわたる品種改良の結果、自力で桑の木に登ることも、交尾相手を探して飛ぶことも、外敵から身を守る保護色をまとうことすらできない。人間の世話なしには、一世代たりとも生命をつなぐことが不可能な「完全家畜」だ。
西洋近代の動物倫理において、この極端な改変は時に「生命への冒涜」と批判されることもあった。しかし、日本の養蚕集落に息づいていたのは、捕食・利用する側とされる側という単純な二元論ではない。山深い村々の神社には今も「蚕影(きぬがさ)神社」や「蚕霊塔」が立ち並び、人々は命を奪って糸を得る自らの業に怯え、祈りを捧げ、感謝を捧げてきた。テクノロジーが生命をコードとして書き換える2026年だからこそ、この「敬いながら命をいただく」という古層の倫理観が、冷徹な生命工学に温かな倫理のブレーキを踏み込んでいる。