青空こうじの歩みを振り返ると、演芸界の頂点から政治の現場へと挑んだその軌跡は、まさに波乱万丈という言葉がふさわしいものです。
1965年に青空球児とコンビを結成。「青空球児・好児」としてNHK漫才コンクール最優秀賞を受賞し、1970年代から80年代の漫才ブーム期には、フジテレビ系『THE MANZAI』や日本テレビ系『お笑いスター誕生!!』などの伝説的番組で爆発的な人気を博しました。球児の突拍子もないボケに対して、好児が的確にいなし、最後はあの「ゲロゲロゲ〜ロ」と両手を広げるカエルの物真似ギャグで締める芸風は、老若男女を問わず日本中で愛されました。
漫才協会の副会長としても長年尽力し、芸能界で確固たる地位を築いていた彼が、なぜ還暦を過ぎた2007年に突如として練馬区議会議員選挙への出馬を決意したのか。その政界進出 理由には、彼自身の生い立ちと地域社会への強烈な危機意識がありました。
当時のインタビューや自著などで本人が明かしたところによると、直接のきっかけは地元・練馬区で多発していた青少年の非行問題や防犯対策の遅れ、そして急速に進む高齢化に対する行政の支援不足を肌で感じたことでした。「お茶の間に笑顔を届けてきたが、自分の暮らす街の子供たちやお年寄りが泣いているのを見過ごせない」という強い義侠心が、彼を政治の世界へ駆り立てたのです。
当時、世間からは「タレントの知名度を利用した腰掛け出馬ではないか」という厳しい批判と冷ややかな視線が向けられました。しかし、彼は自民党公認として初出馬した2007年の区議選で見事に上位当選を果たして以来、その色眼鏡を自らの「汗」で払拭していくことになります。