当時の人々は何を原因として命を落としていたのでしょうか。古記録や当時の医師の日記から分析すると、江戸時代の主な死因の筆頭に挙げられるのは、結核、麻疹(はしか)、天然痘(疱瘡)、赤痢、そして幕末に大流行したコレラ(虎狼痢)といった猛烈な感染症でした。
当時の医学は漢方医学が主流であり、人体の解剖や病原菌の概念が広まるのは杉田玄白らが『解体新書』を翻訳した1774年以降のことです。さらにペニシリンなどの抗生物質が存在しない時代であったため、ひとたび細菌やウイルス性の重症感染症にかかれば、自己免疫の力に頼るほかありませんでした。風邪をこじらせて肺炎を併発するだけで、屈強な若者であっても数日で命を落とす危険が常に隣り合わせだったのです。
他方で、江戸時代の医療と衛生環境には、世界的に見て極めて進んでいた側面もあります。100万人規模の大都市であった江戸は、神田上水や玉川上水などの給水網が整備され、長屋の共同便所から出る排泄物は近郊の農村へ肥料(下肥)として計画的に買い取られていました。同時代のロンドンやパリが糞尿を道路に投げ捨て、ペストの大流行を繰り返していたのに対し、江戸の町は循環型社会を構築し、悪臭や汚染を防いでいたのです。しかし、飲料水のろ過技術や手指消毒といった近代衛生概念までは確立されておらず、夏場の食中毒や風土病を防ぎきることは困難でした。