1970年代初頭、米ベル研究所が発表したばかりの未知の半導体素子「CCD」に、誰よりも早く目を奪われたのが当時副社長だった岩間好一氏でした。「人間の目を超える電子の眼をつくる」という途方もない構想に対し、当時の取締役会や経理部門は猛反発の嵐でした。歩留まりは1パーセントにも満たず、試作を重ねるたびに莫大な研究開発費が消えていったためです。
役員会で「いつまで道楽を続けるのか」「会社を傾かせる気か」と詰め寄られた岩間氏は、机を叩きながらこう言い放ったと当時の開発陣の手記に記録されています。「CCDをやるんだ。500億円かかってもやり遂げる。これが将来、ソニーの全製品を支える飯のタネになる」。この揺るぎない覚悟が、孤立無援だった現場の研究者たちを奮い立たせました。
開発着手から十余年、1980年にソニーは世界で初めてCCDを搭載したカラービデオカメラ付きオールインワン型システムを航空機の計器着陸用モニターとして納入。さらに民生用8ミリビデオへの搭載へと道を拓きます。しかし、その完全な栄光を見届ける前に、岩間氏の身体は病魔に蝕まれていました。1982年夏、入院先の病床に完成したばかりの最新CCDカラーカメラが運び込まれました。画面に映し出された鮮明な色彩を見た岩間氏は、痩せ細った手でカメラを抱きしめ、無言のまま大粒の涙を流したと伝えられています。