『火垂るの墓』の作者である野坂昭如(のさか あきゆき)は、日本の戦後文学・芸能史において異彩を放ち続けた怪物的な表現者です。1930年(昭和5年)に神奈川県鎌倉市で生まれた野坂は、生後まもなく神戸の張満(はりま)家に養子として出され、そこで育てられました。のちに日本のポップカルチャーを牽引する作詞家(童謡「おもちゃのチャチャチャ」の補作詞など)、過激なテレビタレント、歌手、果ては参議院議員まで務めるなど、その経歴は華やかさと破天荒さに満ちています。
しかし、その華麗な活躍の底底には、常に第二次世界大戦末期のトラウマが澱(よど)のように沈殿していました。1945年、14歳だった野坂は神戸大空襲で養父を亡くし、病気の養母と幼い義妹を抱えて焼け野原放り出されます。この地獄の体験を30代後半になって初めて文学へと昇華させた作品が、文芸誌『オール讀物』1967年10月号に発表された短編小説『火垂るの墓』でした。
翌1968年、野坂は米兵の落としたPX物資に群がる戦後日本の卑屈さを描いた怪作『アメリカひじき』と並び、第58回直木賞を受賞します。選考委員の川端康成や大佛次郎ら文壇の重鎮を唸らせたのは、関西弁のリズムを畳み掛ける独自の饒舌体(じょうぜつたい)と、戦争の美談化を徹底的に拒絶する生々しい筆致でした。作家・野坂昭如の名は、この2つの強烈な戦争体験記によって不滅のものとなったのです。
晩年は脳梗塞に倒れながらも不屈のリハビリで執筆を続け、2015年12月9日、自宅で意識を失い心不全のため85歳で逝去しました。逝去から歳月が経過した現在も、彼が遺した作品群は戦後日本の欺瞞を撃つ鏡として光を失っていません。